越後高田 最古の社
五ノ辻稲荷神社縁起
現在から四百年ほど前、松平上総介忠輝公が、高田の地に城を築きました。それから高田は大きな城下町として栄えてまいりました。しかし、それ以前の高田の町はそれほど大きくはなく、古い記録によりますと、大町五丁目あたりが「高田村」としてその中心地だったとされております。そして、この町の真ん中には大きな榎があり(越後騒動の際には城受取りに来た榊原政倫がこの榎の根本に腰を下ろし、城と町の様子を見たとあります。ちなみにこの木は二百五十年近く前の安永年間まで残っていたそうです。)それを町の中心に位置する「先代の遺木」と皆が呼んで崇めていたそうです。その木の下には祠があり、「榎稲荷」と呼ばれておりました。その後、高田城の追手前にあった「社」が合祀され、享保年間には中島大炊介藤原義康が、伏見稲荷より勧請を受け、幾柱かの神さまとともに祀って神殿を建てました。それが今日の「五ノ辻稲荷神社」です。
また、「先代の遺木」は、現在も御祭神の下にその切り株を残していると言われております。
※祭事などの予定は「お知らせ」に随時掲載いたします。
御朱印は社務所にて承っております。
(詳しくは禰宜の部屋・御朱印ご案内のページをご覧下さい)
学研プラス社さんから「御朱印でめぐる全国の稲荷神社」が
発行されました。
当社も102ページに掲載されております。
令和5年「大祭」は9月9日・10日
滞りなく終了いたしました。
※令和4年の年初からPC及びOSのトラブルにより
アクセス・通信に障害が出ました。
ご連絡の受信がかなわず、大変ご迷惑をお掛けいたしました。
衷心よりお詫び申し上げます。