黒船は来たりぬ

 

 この度、ありがたい事にご近所の方から「新車祓い」を依頼されたので、その祝詞を作成することにした。

 祝詞作成初心者の私は、まずは参考になるものはないかと宮司や禰宜がかつて書いた祝詞の束を調べることを思いついた。宮司(父・以下略)はマメというかマメ過ぎる性格であるので、今までに書いた祝詞はジャンル別に分けて保管をしてあるのだ。
  お手本は山ほど有るし、祝詞作成の道程は明るい、筈だ。
 「新車祓い…新車祓い…と、あれ?」。
 「新車祓い」の祝詞群の中に、ひときわ細かい字で書かれている祝詞が見つかった。これはなんとなく立派でイケそうな感じがする。
 「おお、これを参考にするか♪」、開いてみたら何故かこれが恐ろしく長い。しかも「重厚長大」という言葉がしっくりくるような重々しい、厳めしい言葉が並んでいる。いきなり気持ちがネガティブ系に走ろうとする。
  「これ…車のお祓いの祝詞、だよね…?」
 しかし…
 読んでみると、わずかな違和感。なんか家の廊下で、一粒の砂利を踏んだような感覚?が…
 今一度目を通してその原因を発見。
 長々と毛筆で書かれた漢字の群れの中に、異彩を放って輝く長い“カタカナ表記!”の固有名詞を見つけた…祝詞に…これはどうなの?…。
 だが、まさにそれは光燦然と輝く有名な「スーパーカー」のフルネームであった。

 「あー。これかー。これってあれだよなー」。

 思えば今から数十年前、「サーキットの狼」というマンガが子供たちの間で流行ったことがあった。主人公とそのライバルたちが、一台何千万もする外国車でレースをするという、少しばかり、否、有り得ないほどゴージャスかつ、「これが日本の話なのか!?」というような突っ込みどころ満載の設定であったと記憶している。
 とにかく、そのマンガに端を発して、スポーティーな高級外国車に憧れる風潮が子供たちの興味の範囲を超えて社会現象になった。これが「スーパーカーブーム」であった。

 そんな「ブーム」最盛期、昭和五十年代のある日、近所に住むFさんという方から、「新車祓い」の依頼が舞い込んだ。
 Fさんは、ガソリンスタンドやセメント、その他諸々を扱う会社の重役さんで町内の顔役でもある。そのFさんの知人の車のお祓いをしてくれ、ということであった。
 知人さん=依頼主は裕福な方で、この度、「イタリアのスーパーカー」を購入したという。
 そこで、Fさんが先頭に立ち、彼の経営するガソリンスタンドで、大々的にお披露目をしようではないか、いや、皆に見て貰いたい!ということになったらしい。
 その会場において、まずは「新車祓い」を行うという流れで、宮司のところに話が来たようだ。
 「宮司さん…祝詞なんですが、当然この車に相応しいものにしてくださるんでしょうね。何しろ『スーパーカー』ですからな。ふふ…。」と依頼主が言ったかどうか定かではないが、とにかく祝詞は重々しく、長いものにして欲しいという幾つかの細かいオーダーがあったようだ。
 基本的に、宮司はおおよそ祭事の際には、参詣者の希望に添えるよう、柔軟なスタンスを取っていた。
 しかし、今回祝詞の中にその「スーパーカー」の固有名詞を織り込んで欲しいというものがあり、これには流石に宮司も戸惑ったようだ。彼は「スーパーカー」が何たるかを知らない…

 

 依頼があった日であろう。夕食の席で、宮司が妻(母)、兄、姉(現禰宜・以下略)と私(現権禰宜・以下略)に向かって胸高に腕を組んで   「お前たち…」と重々しく切り出した。
 得てしてこういう時はあまり機嫌がよろしくない。
「そうだな…らんぼるぎ…ええと…かうんた?…そんな名前の車…お前らなぜ笑う!!とにかく、そんな車を知っているか!?」。
 繰り返すが、世は「スーパーカー」ブームである。「サーキットの狼」は読んでいたし、「ランボールギーニカウンタック」など知らないほうが恥ずかしい。
 当然答えは「もちろん知っているよ」。
 「カウンタックはね、時速300キロで走るんだよ」。
 「カウンタック、カッコいいよね」。
 我われ兄弟のそういったやりとりの中で宮司の顔が険しくなっていった。
 これは、宮司の知識形態から鑑みるとまさに“黒船の襲来”的なものであったに違いないのだ。
 しかも自分より圧倒的に、あらゆる分野において無知であるはずの子供のほうが知っていては沽券に係わる。さらに恐ろしいことに、子供たちはその“黒船”の名前まで知っているのだ。
 そもそも日本車が世界一と信じている宮司にとっては外国車の「ブーム」が来るなどとは思いもよらないことであったろう。
 人の顔色を伺えない姉か、空気を読めない私の どちらかが、畳みかけるように言い放った。
  「パパ、そんなのも知らないの?」。
 ぐっと顎を上げ、貴様らそこに直れっ!と言わんばかりに、宮司がカウンターで応戦。
 「お前ら…無礼な…俺はこのお祓いを断る!」。
 八つ当たり気味に放った一打であったが、「まあ…先方さんに失礼でしょう…」と、妻(ラスボス・陰の権力者)に諫められてトーンダウン。
 少し腕を組んで考えながらも、どうやらお祓いをすることを決めたらしい。

 そして、お祓いの日が近づいてくる。
  宣伝カーやチラシなどで、記憶は定かではないが「高田に初めて『カウンタック』がやって来る!ちびっこ大集合!」などのコピーが流され、ちょっとした話題になったかと思う。
  一方、宮司の祝詞は完成していない。
 彼はすでに召集令状が来る日がわかっている兵隊のようなものである。それなのに回りから出征の支度を促されているような、複雑な気持ちであったろう。
 とはいえ、やはり固有名詞「らんぼるぎーにかうんたっく」を使用するのに、引っ掛かりがあったのか「伊国から渡来せし車」などの代案を示したようだが、それでは「ブランド力を誇示できない」と、了解を得られず、宮司本人も「出来れば…の話ですよ…?」という力感のない抵抗しか出来ずに、結局そのまま祝詞は作成された。
 「ブランド、か…日本車や独逸車で俺は良いんだけどなー」などど訳の分からないことを呟きながら、祝詞文の下書きを作成していた宮司の姿を思い出す。

*  *  *

 さて、こういった経緯で作られた祝詞だが、さらによく見ると、楷書で書かれた漢字の中で、妙なことにその固有名詞だけ行書で「ランボールギーニカウンタック」と記されていることに気づいた。
あるいは、それが彼のささやかな「抵抗」みたいなものだったのかも知れない。
 まあそれ以来、宮司は固有名詞に限って、祝詞の中に外国語を取り入れることに抵抗は殆ど無くなったようなので、ある意味、一つの進歩をし遂げた、ということにしておきたい。

 

 宮司の力作を閉じながらふと思いを馳せる。
 今から四十年以上も前の話である。その間、宮司も齢を重ね、本当に、静かで穏やかになった。
 ふと彼が祓った「かうんたっく」の今に思いを馳せる。きっとまだまだ元気で、もしかしたらアンティーク扱いの「日本に渡った車」なんて、マニアを騒がせたりしていて欲しいと思う。

 あの“黒船”は、今どこをどんなふうに走っているのだろうか。

 

 ところで、肝心の権禰宜の手本となる祝詞だが、今回発掘してしまったものは真似をするにはあまりに文章も、その作成経緯もわりと“重い”何かがあるので、一旦保留にしておいた。
 そして、ご近所の方のお祓いには祝詞のお手本本と他の「新車祓い」のものをベースにすることに決めた。

 無事にお祓いを滞りなくご奉仕できたので、いろいろな思いとともに記しておく。
(権禰宜 記)